シーズアスリートとは

シーズアスリートとは

C's Athlete のCはChallenger(挑戦者)。
何事にも、挑戦する者の集える処で在りたいとの想いを込めた名称です。

C’s Athleteは、障害者の新しい雇用開発と障害者スポーツの振興を目的に2005年5月に設立しました。
自らの障害を乗り越え、世界の舞台で戦うアスリートを現役時代だけに限ったサポートではなく、アスリートとしても社会人としても生涯社会に参画できることを目的とした日本初の取組みです。

C’s Athleteに在籍する選手は多くの会員様に支えられ競技活動と仕事を両立し、地域のスポーツサークルや福祉団体での競技指導・アドバイザーとしての活動に取り組み、さらには、全国の企業・学校での講演活動・障がい体験イベントなどを開催し、障害者・健常者の相互理解が深まる活動を積極的に行っています。

皆様からの応援が自らの限界に挑戦する選手たちの心の支えとなり、原動力になっています。
一人でも多くの人にファンになっていただきたい、そして一人でも多くのパラアスリートを育てていただきたい。
アスリートは勝つことが全てではないということを選手たちは知っています。
支えていただいている皆様への感謝の気持ちを忘れることなくアスリートたる前に人として成長すること、さらに、競技活動と仕事の両立を支援するという日本初の試み、それがC's Athleteのチャレンジです。

シーズアスリートの理念

株式会社アソウ・ヒューマニーセンターは、障害者スポーツ選手雇用センター
「C’s Athlete」(シーズアスリート)を障害者の新しい雇用開発と障害者スポーツの振興を目的に設立いたしました。
自らの障害を乗り越え、仕事と選手活動を両立させているパラリンピックメダリストを中心に運営しており、特別会員(運営協力)の企業様には、現役選手としてパラリンピックを目指す選手達への多大なるご理解とご協力をいただいております。
様々な活動内容があるなかで、「マッサージ」では、会員利用者の方々の心身リフレッシュを担い、一方、対外的には、地域のスポーツサークルや福祉団体での競技指導・アドバイザーとしての活動に取り組み、さらには、地域の企業・学校での講演活動・障害体験イベントなどを開催し、障害者・健常者の相互理解に努めて参ります。
これらの活動を通じ、企業における障害者雇用の促進を啓蒙するとともに、自ら「良き社会人」として後進の目標となり、障害者の方や障害を持つ子ども達の「自立」への一助になることを使命としております。
障害者スポーツ選手はもとより、関係者各位より大きな期待を寄せられる本センターの成功のため、アソウ・ヒューマニーセンターを運営主体として企業・自治体・学校との協働により地域貢献に注力して参ります。

代表取締役社長 中島彰彦

シーズアスリートメンバー

工藤 力也 (くどう りきや)

1981年福岡県生まれ
ゴールボール強化指導スタッフ
C's Athleteリーダー
19歳の時レーベル病になり現在の視力0.02。

工藤力也の詳細プロフィールを見る

浦田 理恵 (うらた りえ)

1977年熊本県生まれ
ゴールボール
シニアアドバイザー
2012ロンドンパラリンピック金メダリスト
2020東京パラリンピック銅メダリスト
20歳の時『網膜色素変性症』を発症。

浦田理恵の詳細プロフィールを見る

小宮 正江 (こみや まさえ)

1975年福岡県生まれ
ゴールボール
2012ロンドンパラリンピック金メダリスト
2004アテネパラリンピック銅メダリスト
小学生の時『網膜色素変性症』を発症。

小宮正江の詳細プロフィールを見る

川野 将太 (かわの しょうた)

1985年福岡県生まれ
車いすテニス(クァードクラス)
2012ロンドンパラリンピック ダブルス4位
17歳の時交通事故で頚髄を損傷し胸から下と手を麻痺。

川野将太の詳細プロフィールを見る

信沢 用秀 (のぶさわ ようしゅう)

1986年東京都生まれ
ゴールボール
先天性網膜芽細胞腫で生まれ現在の視力は右は0.01左は0。

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西村 卓士 (にしむら たかし)

1992年4月7日奈良県生まれ
パラ卓球
生後まもなく心肺が停止し、大動脈離断症、心室中隔欠損と診断され
その後遺症で右不全麻痺、てんかんになる。

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萩原 紀佳 (はぎわら のりか)

2001年3月3日 埼玉県生まれ
ゴールボール
2020東京パラリンピック銅メダリスト
網膜芽細胞腫により右目の視力はなく、左目の視力は0.06。
光やシルエットが分かる程度。

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原田 涼平 (はらだ りょうへい)

1999年7月2日 宮崎県生まれ
パラテコンドー
生まれつき左手にハンディキャップを抱える左上肢機能障害。

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辻村 琢光 (つじむら たくみ)

1999年10月19日 神奈川県生まれ
パラ卓球
10歳の時、右上肢に骨肉腫を発症し右上肢に障害が残る。

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新井 みなみ (あらい みなみ)

2003年埼玉県生まれ
ゴールボール
先天性視神経萎縮という病気により、現在の視力は両目とも0.08。

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米衛 晴香 (こめえ はるか)

1996年宮崎県生まれ
車いすバスケットボール
25歳の時、原因不明の左足尖足(せんそく)となり
左足関節機能障害となる。現在、日常生活では車いすを使用。

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副島 正純 (そえじま まさずみ)

1970年長崎県生まれ
車いす陸上
2012ロンドンパラリンピック4位
23歳の時家業の鉄工所内で鉄板落下の事故で下半身不随になり
車いす生活となる。

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