vol.55(2019.8)【特集】
vol.55(2019.8)【特集】
特集 新世界で2020に挑む期待の新星たち
視覚障害者柔道の工藤博子選手とパラ・パワーリフティングの光瀬智洋選手。
ともに競技歴こそ浅いものの、瞬く間に頭角を現し国内トップ選手となり、4月からシーズアスリートに加入した2選手の人生と素顔に迫る。
15年ぶりの復帰~柔の道、再び/工藤 博子
―ズバリ、工藤さんってどんな人?
基本的に隠しことがなく、なんでも話すオープンな性格です。ネガティブな発想が好きではないので、何でもポジティブに考えるようにしています。趣味はお菓子やパン作り、DIY、キャンプなどのアウトドアです。
―先天性の弱視と伺っています。
未熟児網膜症のため左目が見えず、右目は近づけば文字を判別できますが、人の顔はぼんやりとしか見えていません。
だから声とシルエットで記憶して入りことが多いです。
―障害をネガティブにとらえたことはありませんでしたか?
家族に心配をかけたくないという気持ちから、学生時代は弱視であることを隠したまま健常者と同じ普通学校に通っていました。
でも、心の中では「どうして私が…」と思ったこともあります。ただ、友人や恩師など周囲にすごく恵まれていたことで、楽しく過ごすことができましたね。いまではとても幸せを感じています。
―柔道を始めたきっかけは。
中学では水泳部に入りたかったのですが、水泳部がなく、親友から柔道に誘われたんです。
と言っても柔道部もなかったので、有志を募って部を立ち上げました。ちょうど柔道の谷亮子選手が活躍されていたころです。
未熟児で生まれたため、もともと体が弱く学校も休みがちだったのですが、柔道のおかげで体力がついて一気に元気になりました。ちなみに中高ともに副キャプテンでした。
―学生時代の戦積は。
高校最後の大分県大会で、いつも九州大会で1位になっていた選手に勝って個人3位になったのが最高です。
―15年間遠ざかっていた柔道を2018年に再開した理由は。
短大卒業後は介護福祉士として働いていました。
そんな時、高校時代の柔道部のキャプテンが日本視覚障害者柔道連盟の強化コーチをしていたこともあり、再び柔道に誘ってもらったのです。
自信はありませんでしたが、やるだけやってみようと思いました。
―ブランクの影響はなかった?
受け身の練習では全身あざだらけになり、柔道着の縫い目がこすれて痛く感じるほどでした(笑)。
実は再開した年、アジアパラ競技大会と世界選手権の代表選考大会で優勝できなければ別の競技に転向しようと考えていたんです。でも何とかギリギリ勝つことができました。
―同じ年にはアジアパラ競技大会と世界選手権で銀メダル、全日本選手権でも優勝。
若手の選手との対戦が続き体力的に厳しかったのですが、疲れていても組むときは平気なふりをしたり(笑)、自分自身に“いける!”と言い聞かせたりしていました。
―視覚障害者柔道の魅力、健常者との対戦との違いは。
お互いに組んだ状態で試合が始まるので、ダイナミックな大技による一本勝ちが生まれやすいんです。
開始数秒で決着がつくことも珍しくなく、私も開始2秒で勝った経験があります。ずっと力を入れたまま引っ張ったり、押し合ったりするのでどの選手も健常者より腕力や体幹が強く、疲労の度合いが大きいですね。
―シーズアスリート加入の経緯は。
視覚障害者柔道男子の初瀬選手が代表を務める人材派遣会社が、(株)アソウ・ヒューマニーセンターと提携していた関係で紹介していただきました。柔道以外のアスリートに接する機会がなかったので興味深かったし、仕事がすごく好きなので出社して勤務する点も魅力的でした。
―実際に加入していかがですか。
刺激的ですね。メンバー同士の共有SNSで試合結果を報告したり、大会前には応援メッセージを送ってくれるのですが今までひとりで戦ってきた分、喜びや感動を一緒に分かち合える仲間がたくさんできてとても嬉しいです。
―東京2020大会の出場条件は。
各階級とも、今年の7月と10月、来年の5月に行われる3度の国際大会でポイントを最も多く獲得した選手1名に出場権が与えらます。
―自信や手ごたえは。
今は63キロ級の国内1位ですが、追われる立場なので出場権をつかめる確証はありません。
絶対に負けられないし、やるしかない…いや、やってやる!という気持ちです。
―会員の皆様にメッセージを。
これ以上ないチャンスをいただいて心から感謝しています。
競技も仕事もポジティブな気持ちを忘れず、必ず東京2020大会に出場しますので応援よろしくお願いします。
MATCH BLIND JUDO [視覚障害者柔道]
□3/29~4/2 German Open Trainings Camp Heidelbelg 2019 Para JUDO (ドイツ/ハイデルベルク)
●今後につながる重要な経験を積むことができた
海外遠征や国際大会、格上選手との対戦など、視覚障害者柔道を始めてまだ1年足らずの私にとっては、さまざまな経験を積むための武者修行というべき大会でした。必ずメダルを持ち帰りたいと思っていたので、出場者が最も多かった階級で銅メダルを取ることができて嬉しく思います。
また、コーチ不在のまま試合に臨まなければならないといった予想外のハプニングを含め、今後に繋がる重要な経験を積むこともできました。
しかし、改めて世界のトップクラスとの実力差を痛感したのも事実です。もう少し近づいていると思ったのですが、まだまだ努力が足りないようです。
世界の壁を乗り越えるため、これからも練習に励んでいきます。(工藤博子)
一瞬の力と技に秘めた熱い想い/光瀬 智洋
―ズバリ、光瀬さんってどんな人?
人懐こくてすぐに友達になれる性格ですが、負けず嫌いというか否定されると燃えるタイプです(笑)。
趣味はイタリアンでのアルバイト経験を生かした料理など。海に出かけたり、キャンプやバーベキューをしたりするのも大好きです。
みんなからは「トム」と呼ばれています。
―障害を負った経緯は。
19歳のとき、大学の入学式前日に駅のホームを歩いていたのですが、体調が悪くて倒れ、線路に落ちたところへ電車が来て巻き込まれてしまったんです。それから車いす生活で、へそから下の感覚がありません。
―障害を負ったあとの心境は。
ちょっと過激ですが、死にたいってずっと思っていました。高校時代にダンスをしていて、俳優になるため大学の表現芸術学科への進学が決まっていたのに行けなくなって…喪失感がすごく大きかったですね。
―どのように気持ちの整理を?
入院中、友達が毎日お見舞いにきてくれたので2週間ほどで立ち直ろうと思い始めました。ちょうどリハビリが始まって、とりあえず目の前のことをひとつでもできるようになろうと。それからリハビリ病院を2度移ったり、職業訓練学校に通ったりした3年ほどの間にそれまでにない考え方ができるようになり、徐々に別の世界や新しい道が見てきました。
―そして、日本スポーツ振興センター(JSC)の「ナショナルタレント発掘・育成パラリンピック検証プログラム(NTID※)」に合格し、パラ・パワーリフティングと出会う。
外資系企業で働きながら定期的にジムに通っていたのですが、ある日そのスタッフが「腕試しに受けてみたら」と教えてくれたんです。
それで応募して4~5回ほど試験を受けた結果、2017年3月にパラ・パワーリフティングに適しているということで合格しました。
(NTID※)とは…
JSCが主体となって全国規模で有能なタレントまたはアスリートを見出し、個々の適性に応じた競技種目や中央競技団体へのアスリート育成パスウェイ(道筋)をつなぐ機会と場を提供するもの。
―競技に対する印象は。
ジムでベンチプレスをしていたので身近ではありましたが、競技として考えたことはなく、地味であまり楽しくなさそうだなと(笑)。
でも障がい者が健常者の記録を越えることが多く、リオ2016大会で金メダルを獲得した選手が健常者を上回る世界記録の310キロを持ち上げたと知ってロマンと可能性を感じ、やって見たいと思うようになりました。
―パラ・パワーリフティングの魅力は。
実はとてもルールが厳しく、繊細な競技なんです。
たとえば、上げ下ろしの際にバーベルが真っすぐ並行になっていないといけないし、バーベルは胸の上で一瞬止めて持ち上げる必要があります。
それを3人の審判が間近で見て判断します。そしてベンチ台に乗ったら、2分間の制限時間の中で競技をするのですが、自分の感覚しか頼るものがない。そんな緊張感の中で自分の限界を越えていくのが楽しいし、くせになりますね。
―シーズアスリートの加入の経緯は。
退職してアルバイトをしながら競技活動をしていたところ、車いすテニスの川野選手がパラ・パワーリフティングの選手と知り合いで「無所属で、将来有望な選手はいないか」と探しているということを聞いて、ぜひ一員になりたいと思いました。
―実際に加入していかがですか。
メンバーも環境も最高ですね。実は加入できなければ、金銭的な事情から競技をやめるつもりでいたんです。
だから、仕事と競技を両立できるようになって本当に感謝しています。
―東京2020大会の出場条件は。
格階級ともIPC(国際パラリンピック 委員会)指定大会に出場していること、その上で IPC世界ランキングとは別の東京パラランキング8位以内に入った選手1名がダイレクトインで代表になります。
―自信や手ごたえは。
ランキング8位以内となると、150~160キロが目安になってきます。
私の自己ベストが127キロなので、150キロという記録は安易に手が届くとは言えない状況ですが、全く掴めないとは思っていません。
―会員の皆様にメッセージを。
選手としても人としてもまだ未熟ですが、“限界を超える”をモットーに少しでも勇気や元気を与えることができ、世界のトップ選手のように健常者の記録を超えられるアスリートを目指していきますので、応援よろしくお願いいたします!
MATCH PARA POWERLIFTING [パラ・パワーリフティング]
□4/13~14 第2回パラパワーリフティング チャレンジカップ京都(京都府/城陽市)
●ラストチャンスで優勝!
この大会に勝ち、7月の世界選手権出場権を獲得できなければ、東京2020大会への道が絶たれるというラストチャンスでしたが、優勝することができました。一番エネルギーになったのは、2月の全日本選手権で3回の試技が全て失格になったことで、まったく期待も注目もされなくなった悔しさです。優勝が決まった瞬間「やってやった!」という気持ちで大きな自信にもなりました。
これからますます厳しい戦いが続きますが、期待に胸が膨らんでいます。次の大会はカザフスタンでの世界選手権です。
初めての海外遠征ということで長距離の移動や食事等のストレス、より厳しいであろうと予想されるジャッジが結果にどう影響するかを体感しつつ150キロを目標に世界のトップ選手に食らいついて行きます。(光瀬智洋)